くどうれいんさんの『日記の練習』を読んで、わたしもこんな日記を書きたいと思った。すぐにスプレッドシートに日付と内容だけの簡単な日記帳を作成し、日記を書き始めた。それを一応誰かが見ても問題ないように少しばかり修正して、ここに置いていこうと思う。
10月9日
日記を始めてみることにした。ずっとずっと文章が書きたいと思いながら、なぜか優先順位はものすごく低くって、いつまで経っても書こうとしない自分に嫌気がさしてきた。1行でも良いし、書かなくても良い。書きたいと思ったときに自由に書ける場所を作ってあげただけ。
子どもたちのかわいい、おもしろい言動を記録したいと常々思っている。しかしながら、子どもたちにご飯を食べさせ、お風呂に入れ、歯磨きをしてあげるだけで全気力を使い果たしてしまい、なかなか記録をすることに気力と時間をさくことができていない。そして何よりも、私の記憶力が猛烈に低下してしまったので(もともと記憶力がある方ではないけれど)わーこれ残しておきたい! と思ったことをすぐに忘れてしまう。ここに記録できる場があると思えば、少しは記憶しようという気持ちにもなると良いのだけれど。
10月10日
まだまだ日中は暑い今日この頃だけれど、同僚がところどころ穴の空いたニットを着ていて、「あったかそうですね」と言ったら「いや〜そんなでも……」と言うので穴が空いているからかなと思い咄嗟に「穴が……」と言ったら「通気性がいいから……」と言われ、そう、通気性と言えば良かったのになんで穴なんて言ってしまったんだろうと急に恥ずかしくなって急いで自分の席に戻った。
10月11日
娘が「はなみずをぬったら(肌が)つるつるになるよ!」と世紀の大発見をしたかのように言うので「そうなんだ! すごいじゃん!」と言ってあげれば良かったのに、私ときたら「いやいや、カピカピになるよ?」と言ってしまって母親失格だなと思った。そして「かぴかぴってなに?」と聞かれたのにカピカピをうまく説明できなくて、結局面倒くさくなってしまって「とにかくカピカピ!」で親子の会話を終わらせてしまった私の語彙力のなさ。
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庭の草を抜いて防草シートを敷いていたら、その横で防草シートの芯を棒高跳びの棒に見立ててデュプランティスごっこを始めた子どもたちの発想力に感激!
10月12日
10分経ったのでテレビを消したら娘に「だいきらい」と言われた。どれだけ嫌われても私はあなたの母なのだ。
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『好きを言語化する技術』を読んで、大好きだけれど受け身でしかないよなあ……もっと能動的な趣味を持ったほうがいい?なんて思っていた映画鑑賞を、文章を書くことで能動的な趣味にできる! 大好きなことだからこそ単なる消費(見るだけ)にせずに(もちろんそういう時もあってもいいと思うけれど)、自分だけの感想を言葉にして発信しようと思った。これからは自信を持って、趣味は映画鑑賞と言おう。
10月13日
なんでこんなところにエノキが落ちているのだろう、とよく思う。我が家で床に落ちている食べ物ランキングの1位は米粒、2位がエノキ。
10月14日
息子が急に後追いするようになった。赤ちゃんの頃に戻ってしまったかのように、とにかく私が視界から消えると恐怖でいっぱいというような声を出し、必死に私を探す。私がトイレに行って鍵を閉めるとトイレの前で号泣するので、鍵を開けておくとトイレのドアを全開にされて10秒に一回のペースで私の様子を見に来るのだ。今日は後追いが酷くてつい、声を荒らげてしまった。赤ちゃんならまだしも、コミュニケーションがとれるようになった3歳児。なぜ。そんなこと考えなくてもわかるじゃないか。もう3歳、と思うけれどまだ3歳。まだまだ不安なんだよな。何がきっかけになったのかはわからないけれど、何かが不安で私にそばにいて欲しいのだろう。まだまだ母である覚悟が足りないと反省。
「あしたのあさ、〇〇(息子の名前)のとこいてね」とここ数日毎晩言われる。自分が目を覚ましたときに、私にそばにいて欲しいらしい。その気持ちはわからなくはない。だからできるかぎり息子の希望を叶えてあげたいのだけれど、早朝は私にとって一日で一番大切な、唯一の自分時間。自分時間vs子どもの欲求。子どもの欲だけを満たしていたら、日中の私がたいそう不機嫌でそれはそれで育児に悪影響であると思ったので、自分時間を確保しつつ、起きてきそうな時間になったらもう一度寝室へ行きあたかもずっといたよ? という顔をしてそばにいてあげる戦法に落ち着いた。
10月15日
子育てをする中で痛感するのが、自分のキャパシティのなさ。私ってこんなにキャパないんだ? と毎日思う。パートタイムで働きながら家事と育児をする。この程度のこと、多くの母親はしているのに。フルタイムで働きながら家事と育児をしている母親もたくさんいるのに。どうして私はこの程度のこともうまくこなせないのだろう、と思う。でもちょっと待てよ、それって自分の能力を過信していたということで、なんで過信するほど自分に自信があったのか? とも思い始める。
たとえば、私は、ティーンエイジャーの頃は国際協力関係の仕事に就くことを夢見ていた。結局、自分には何の専門知識もないじゃんって気づいて諦めたのだが、国際協力の現場で働く方のお話を新聞やニュースなどで見聞きするたびに、なんでわたしは…と思う。まるで自分はヒーローにでもなれると信じて疑わなかったかのように。そしてちょっぴり恥ずかしくなる。わたしはアイアンマンでもキャプテン・アメリカでもブラック・ウィドウでもキャプテン・マーベルでもない、名もなき一般市民なのだ。
10月16日
最近コンタクトをしていると夕方には目がヒリヒリというかシパシパというか、とにかく目の疲れがひどい。眼鏡生活にしようかなあと思ったけれど、10年前に作った眼鏡はデザインもレンズも合っていない気がして、新しい眼鏡を作ろうと思って眼科に行った。しかしなんと! 10年前に作った眼鏡で1.2見えてることが発覚。ちゃんと見えていない気がしていたけれど、疲れでは? と言われて眼鏡の処方箋ではなく目薬をもらうことになって、なんだかふぇ〜と気が抜けた。どちらにせよ、眼鏡は作り替えたい。
そのあと診察受けたら下まつ毛のさかさまつ毛を指摘されて、そうだった、だからコンタクトで目を守ってたんだと思い出して、眼鏡生活にするかどうか迷い始めた。最近下まつ毛を抜くのをサボっていて、2本ほど目に突き刺さっている画像を見せられてぎょっとした。ここで抜きますか?と聞かれたけれど、(毛を抜くのが大好きなので、とは言わず)自分で抜くので大丈夫ですと丁重にお断りして、目薬を処方してもらって診察を終えた。
10月17日
YouTubeのCMに田中みなみが出ていて、息子に「このひとかわいい〜このひとどこにいるの?」と聞かれてウケた。おかあさんもこのひとすき。
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娘のクラスメートのお母さんに連絡先を聞かれた。保育園のママ友と連絡先を交換するのは初めてで、(ひゃっほー♪♪♪)と思った。自分から連絡先を聞くのはなんとなく申し訳ない気持ちがして、人に聞いてもらえるのを待っていたら保育園に入ってからもう4年半も経っていた。
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子どもたちが私の誕生日ケーキを楽しみにしていたので、(どうせ食べんだろ)と思いながらガトーショコラとシュークリームとマスカットタルトを一つずつ買った。しかし残念ながら(どうせ食べんだろ)は大外れで、子どもたちはケーキをもりもり食べ、誕生日だというのに私はシュークリームを半分しか食べられなかった。ついこの間までケーキを欲しがるくせに全然食べなかったのに、成長したなあとしみじみ思った。これからはちゃんと4つ買おう。
10月18日
娘の運動会。かけっこの時にスタートしたらすぐに内側の白い線のところに行って走るんよ! と本気のアドバイスをしたところ、忠実に守って走ってた姿にきゅーんとしてしまった。
10月19日
「あー豆腐買うの忘れたぁぁぁ」と嘆いたらすかさず息子が「そうゆうときは『まぁ、いっか!』だよ」と慰めてくれて本気で笑ったし本気で感動した。
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映画レビューの書き方の参考にしたいと思って読んだ本をまとめてさぁウェンズデーのレビュー書くぞ! と意気込んで書き始めたけれど、結果的に本の教え通りには全く書けなくて、いつものレビューとなんら変わらない文章でとてもがっかりした。そんなに簡単にはいかないのだ。せめて言葉遣いを好きなエッセイ風にしたかったのに、それすらもできなくて、というかむしろ自分がフィルマークスに書いてる文章はそれはそれで好きなのかもしれないと思い始める。しかしながら他人の書いたレビューを読んでうーんやっぱり私のレビューは駄文だと落ち込む。
10月20日
10月21日
いつかやればよいことを今やる必要があるのだろうか。いつかでよいなら今はやらなくてもいいのではないだろうか。今もっとやりたいことがあるならば、それを優先させたらよいのではないだろうか。よし、整えることは一旦置いて、純粋にやりたいことをやろう。TO DOリストからも消してやったぜ。
10月22日
10月23日
10月24日
10月25日
「くもさんがぽぽちゃんの髪の毛でかくれんぼしてる!!!」やっぱり子どもの表現力って天才。真似できません、脱帽。
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くどうれいんさんの『うたうおばけ』を読んでいる。最初の2つのお話は、出来事を小説のように細かく描写して書かれていたので、エッセイというよりも小説を読んでいるような感じがして、これはわたしが読みたいものではないかもしれないと思った。でもせっかく借りたんだからと続きを読んでいくと、相変わらず小説のようではあるけれども、これって事実なの? と思うような、面白いことやロマンティックなことや感動することがたくさん書かれていて、とても面白い。れいんさんの人生は、なんて豊かなんだろう。うらやましい。それと、よく覚えているなあとも思う。きっと、日々の出来事や思ったことを何かしら言葉で書き記していたのだろうと思う。そういうのって、大事だなあ。なんたって私はすぐに忘れてしまうのだから。出産後の物忘れといったら、人が変わったくらいに、覚えていられなくなった。そして、私は聞いていない! だの、私はやっていない! だの、身に覚えのないことは全て人のせい(主に夫)にしてしまう。だからこうやって日記を書くのはとても良いことのように思う。子どもたちの様子や、言葉をずっと覚えていたい。
10月26日
今週は、いや、ここ1ヶ月すこぶる不調だ。メンタルも、フィジカルも。子どもたちに当たり散らしていて、もはやその状況も(しょうがないじゃんだってしんどいんだもの)とふんっと当たり前のような顔をしてやっているので我ながら本当にタチが悪いと思う。本当に母親失格だと思う。その一方で、毎日毎日くる日もくる日こんなにどうしようもなく無気力なのに、力を振り絞って毎日毎日くる日もくる日も休むことなく最低限の家事育児をこなしてるわたしって、えらいじゃん! と思う自分も何十パーセントかはいる。それが90パーセントの日もあれば、10パーセントのときもある。弱っている日ほど90%くらい自分を褒めている。こうやって、わたしは自分のバランスをどうにか整えて毎日生きているんだと思う。そう思うと、やっぱり、えらい。
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クリスマスツリーを買った。なんだかしあわせな家族って感じがしてちょっとだけしあわせになった。ミニマリスト(自称)には不要な季節飾りだけれど、子どもが喜んでくれるなら喜んで買う。それが、親。
10月27日
子どもたちが月を見て、「つきがおいかけてくるよ〜!おかあさんもみて〜!」と言いながら園庭を走り回っていた。わたしも子どもの頃同じことをしたなあ。何が楽しいんだか、と今は思うけれど、当時はどこに行っても月が見えて、本当に追いかけてきていると思っていて、それが怖いのではなくただただ嬉しかった。常に自分を見てくれていると感じるからだろうか。母親に対して思うことと、同じかもしれない。おかあさん、ずっと私を見ててねって。月は何も言わなくても、ずっとこちらを見ていてくれるから。私も子どもたちにとって月のような存在でいたい。たとえ雲で隠れたとしても、あなたたちのことをずっと見ているよって。
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ベッドの上に布団を敷いている。このスタイルで寝るようになってからというもの、寝起きに体がガチガチで、特に腰が痛くなる。いい加減寝心地を良くしたいと思って、三つ折りマットレスを買った。かためのものを買ったんだけれど思ったより柔らかくて、(とてもいい!)というよりは(ないよりは断然マシ!)というのが正直な感想だ。子どもたちは寝床に弾力がでたので嬉しくて楽しくてぴょんぴょん飛び跳ねている。すると当然、マットレスや布団がずれていく。せっかく整えたのに、隙間ができてしまう。私はいつも布団と布団の間に寝ているので、隙間が許せない。だから、子どもたちを注意する。でも、楽しいが優先するので飛び跳ね続ける。母、激怒。せっかく寝心地が良くなったのに、新たなストレスが誕生してしまった。隙間を我慢して寝るのは本末転倒だし、だからと言って子どもたちにいうことを聞かせるのはほぼ不可能だろう。解決策としては、飛び跳ねてもマットレスがずれないように工夫をすること。育児とは、工夫の連続である。
10月28日
娘はわたしと手を繋がないと寝られない。そしてふいにわたしの爪をなでなでと触ってくる。一番面積の大きい、親指の爪。手を繋ぐのは良いのだけれど、爪を触られるのはたとえ自分の子供であっても生理的に無理なので、爪はNGにしている。爪を触られたら手を離す。ごめんもう触らないからとまた手を繋ぎ、爪を触られてまた手を離す。その繰り返しだ。爪を触るのは、もはや無意識なのだろうと思う。だけれども、こちらも本能レベルで嫌なのだ。
赤ちゃんの頃から、私の爪周りが好きだった。昔はわたしの爪と皮膚の間に自分の爪を突っ込んでくるものだから、痛くてやめてっ! と何度もなった。赤ちゃんにやめてと伝えてもわかるわけないので、この時はいてぇと思いながらも耐えた。その頃に比べたら、爪をなでなでされるくらいなんてことないはずなのに、それでも爪を触られるのは不快でつらいのだ。いつか、一緒に寝なくなったときに、あぁもう爪を触られることもないのかと安堵すると同時に、ちょっぴり寂しくもなるのだろうか。
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わたしはおしゃべりな人間だった。相手や場を選びはするが、マシンガンの如く喋ることがあった。自分に起きたできごとや思っていることなどを、全て言葉にして、誰かと共有したいと思っていた。それがストレス発散にもなっていた。しかし最近はどうだろう。まず、話し相手がいない。結婚して子どもも生まれて、友人と遊んだり電話をしたりする機会はほとんどなくなってしまった。一番近くにいる夫は無口だし私に無関心なので、私の話には基本的に「うん。」のみ、ときには何を話しても無言だったりもする。それではこちらが満足できないため、あまり話さない。それでも、無言でも無視でもいいから聞いて! と思うこともあった。しかしだ。必ず、120%、娘が話に割り込んでくる。無言でも無視でもいいから聞いてほしいときのわたしはたいてい、子どもに詳細を説明する気持ち的な余裕は持ち合わせていない。子どもに理解ができる話ではない場合も多い。(あぁ、話さなければよかった…)と何度も思う。なので、無言でも無視でもいいから聞いてほしいときでさえ話をすることをためらい、結果的に今はあまり話さない人間になったように思う。一番にそう感じたのは友人とランチをしていたとき。今までの自分であればあれもこれもと話したい気持ちが喉の奥から出てくるような感じだったのに、話をすることが面倒くさく感じたのである。これは人生で初めての感覚で、(うわぁわたし変わったわ〜)と思った。でも本当は、ゆっくりと人とおしゃべりをしたい。子ども相手ではなくて。子ども相手に話したり聞いたりするばかりの日々なので、ひどくストレスを感じている。つらい。子どもの頃、キッチンに立つ母にひたすら話しかけていた。でも母は、聞いていなかった。ちゃんと聞いてよ! と何度も怒ったのだけれど、今は母の気持ちが痛いほどよくわかる。子どもの話をきちんと聞くという母親の覚悟を、もたなければならない。こんなにも母親という仕事は、自分を犠牲にしなければならないのか。別人になってしまうくらいに。あぁ、本当は喋りたい。だけど喋れないから、こうやって誰に見られるわけでもない日記をぱちぱちと書いているんだと思う。なんだか今日はうまく書けなかった。ま、いっか、ただの日記だし。
10月29日
10月30日
10月31日
ワンオペもそろそろしんどくなってきたぞ。娘が癇癪をおこすと私にも伝染する。いや、私のイライラが娘に伝染して癇癪を起こすのかも。もっとゆったりと構えていたいけれど、むずかしい。こっちだって一人で必死にやってんだ。

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