むすめ

先日保育園に三歳の娘を迎えに行ったとき、担任の先生からこんな話を聞いた。

「私のひざの上に二人のお友だちが座っていて、まどちゃん(娘)も座りたそうにしていたんですよ。でもそのお友だちも座っていたくって動かないから、まどちゃんは私にちょっかいをかけ始めたんです。叩いたり、遠くからあっかんべーしたり……(中略)こういうことは今までなかったんですけど、家でもそういうことありますか?」

家でもよくあることだ。どうしても手が離せないときに声をかけられると、相手をしてあげられない。そんなときに、同様のことがある。特に二歳下の弟に手がかかるので、必然的に娘に我慢させてしまう場面はでてきてしまう。

そのような話を先生にしたところ、同じく二人の子どもを持つ先生も、「私も上の娘によく怒られました。下の子ばかりでなく私も相手してよって。私としては平等に接していたつもりなんですけどね。」と。

わたしは先生のその話を聞いて、なんだか涙が出そうになった。わたし自身も、全く同じことを母親に何度も言ったことがあるのを思い出したからだ。

わたしは四人姉弟で、弟が三人いる。自分で言うのもなんだけれど、わたしは幼い頃はそこそこしっかりもので朝は一人で起きられるし簡単なご飯も作れるし勉強も言われなくてもやるので、手のかかる弟たちの世話で手いっぱいな母に放っておかれることが多かった。(ちなみに父は育児にはほぼノータッチ。)

そんな母に、何度「わたしのことも見てよ」「わたしの相手もしてよ」と言ったかわからない。わたしは相手を気遣って言いたいことを我慢する、っていうタイプではないので、思ったらすぐにそのように口にしていたけれど、それでも母の対応が変わるわけではなかった。

自分も母親になった今、当時の母の気持ちが痛いほどよくわかる。娘であるわたしに何度かまってほしいと言われても、無理なのだ。家事も育児もワンオペで、わたしをかまう余裕など一ミリもなかったのだと思う。

そんな母の気持ちは理解しているけれど、子どもの頃に自分がされて嫌だったことを自分も娘にしているんだ、と思うと、泣けてきた。同じ思いはさせたくない。娘には、特に小さなうちは言われなくてもたくさんかまってやりたい。話を全部聞きたいし、一緒に遊びたい。娘がどんなことを楽しみ、悲しみ、怒り、喜んでいるのか、知りたい。娘のいろんな感情を、私にも分けてほしい。

そうすることによって、過去の自分を救うこともできるような気がしている。

なんだ、娘のためって見せかけて、結局自分のためじゃんって、ちょっぴり自分に失望したけれど、親だからって完璧な生き物というわけではないし、娘にとっても自分にとってもよいことならば、それでよい。

娘のために、そして自分のために、娘に寂しい思いをさせないようにたくさんたくさんかまってあげよう。

おわり

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