1年ほど前から、独学でドイツ語を勉強してきました。
仕事で必要だったわけでもなく、完全な趣味として。
ただときどき、私は何をやってるんだろう、ドイツ語を学ぶメリットはあるのか、時間の無駄なのではないか、そんなことを考えたりしたものです。
他にも映画を観たり本を読んだり、友達と遊びに行ったりやりたいことは山ほどあるのに、それらをやりたい気持ちを抑えてまで勉強する価値はあるのだろうか、と。
ドイツ語検定を控えたある日、ドイツ語検定の参考書に書いてあったある言葉が目にとまりました。
ーーーーーーーーーー
⭐︎時折、ネット上で、独検のメリットは?ドイツ語を学ぶメリットは?というような言葉を見ることがありますが・・・(中略)・・・何かに打ち込むということは、打ち込む何かがあるということは、それだけでも素晴らしいことではないでしょうか?
⭐︎⭐︎「人生とは何かというよりも、人生をどう生きるかを問え」
「どう生きるか」というならば「楽しく生きたい」ーー「どのような時が楽しいか」というならば「女性と一緒にいるとき」と「何かに打ち込んでいるとき」ーー前者は一人では不可能だが、後者は一人でもできる。
(独検合格4週間neu、私たちからの「贈る言葉」!より)
ーーーーーーーーーー
これを読んで、心が軽くなったような気がしました。
役に立つとか立たないとかそんなことは置いておいて、何かに打ち込むということ、それが大切なんだと。
確かに何かに打ち込んでいるとき、辛いこともあるけど楽しくて充実している気がします。
楽しいときって、時間があっという間に過ぎますよね。
当時ドイツ語を勉強していたとき、あっというまに時間が過ぎていったなあ。
⭐︎⭐︎の言葉はその通りだなと思いました。
私は女性なので、「どのようなときが楽しい」かと言ったら「男性と一緒にいるとき」か「何かに打ち込んでいるとき」・・・
おっしゃる通り、前者は一人ではできないけど後者なら一人でできる。
一人で自分を楽しませるには、何かに打ち込むこと。
勉強じゃなくても、好きなことなら何でもいいと思います。
何かに熱中しているときにふと「私は今何してるんだろう」そんなことが頭をよぎったときには、あまり深く考えずに純粋に楽しめばいい。
人生、楽しんだもの勝ちですからね。
コメント