娘と映画館へ行く前の、しあわせなひととき

日記の本番

5歳の娘と、映画『ウィキッド 永遠の約束』を観に行った。
グリンダが大好きな娘は、「グリンダみたいな格好で行く!」と大張り切り。

前側の両腰のあたりにふわふわの白いリボンのあしらいがあるピンクのワンピースを着たのだけれど、白があるのは嫌!という謎の完璧主義を発揮し、なんと前後反対に着ていくという。前側がピンクだけなら良いとのこと。わかったよ、いいよ、いいよ。

次は、ティアラ探し。家にあるはずのエルサのティアラの大捜索が始まった。あそこにもないここにもないと、さらぁ〜と見ただけで根を上げた娘はすぐに「おかあさんもてつだって〜」とわたしに泣きついてくる。仕方なくゴソゴソと探してみると、ものの3分で見つかった。

最後は髪の色。え、髪の色?
「どうしたら肌色の髪になれる?」と聞かれたけれど、「むずかしいねぇ」とてきとうに返事をした私は自分の支度に取りかかろうとしていた。

顔を洗ってリビングに戻ると、娘は折り紙を入れている引き出しを出して、必死に肌色の折り紙を探しているところだった。
「肌色の折り紙を髪に貼ればいいと思ったの。でも、肌色の折り紙がなぁい。」
「ないなら残念だけど貼れないねえ」
とてきとうに返事をしつつ、心の中ではなくて良かったとホッとしていた。その代わりにグリンダのようにハーフアップに結んであげて、なんとか髪の色は諦めてくれた。

娘がグリンダなら私は当然エルフィー。緑色のワンピースを着ようと思って出したところ、「なんで緑なの?エルフィーは黒い服着てるでしょ?」とお叱りを受けた。はいはい、じゃあ黒いワンピースね。というわけでこの時期にしてはまだ肌寒い七分袖の黒いワンピースを着た。

娘はそれで満足してくれたようだけれど、私はせっかくならともう少し寄せにかかることにした。眼鏡だ。私の眼鏡は、エルフィーのようなちょっぴり奇抜なオシャレさはないけれど、まん丸のフレームであることは同じだ。コンタクトの方が泣いた時にハンカチで目元を拭きやすいので、映画館に行く時はコンタクトをするのだけれど、今日は我慢して眼鏡で行くことにした。

グリンダとエルフィーになりきって映画館へ行き、劇場限定のグリンダの杖をモチーフにしたボールペンを買ってあげて、どこからどう見てもグリンダである状態でさらにハイテンションになった娘と一緒に映画を観た。

映画は期待以上に素晴らしくて、あと3回は観に行こうかな、なんて思っている。けれど今回いちばん心に残ったのは、スクリーンの中の物語だけではなかった。

映画館へ向かう前、ふたりであれこれ準備をしていたあの時間。
服をどう着たら納得できるかで真剣に悩んだり、ティアラを探してあちこち見てまわったり、折り紙で髪の色を変えようとしたり。どれも小さな出来事なのに、ひとつひとつが静かに心に残っていて、あとから思い返すと胸の奥がじんわり温かくなる。

私はこれまで、「映画を体で味わいたい」と常々思っていた。
大きなスクリーンや良い音響の中で、全身で物語に包まれること。映画祭に足を運ぶこと。そんなふうに、どちらかといえば“外側の環境”のことを指していた。

でもこの日、少し違う形の“体で味わう”を知った気がする。
物語の中に入る前から、もう物語に触れているような時間。
誰かと一緒に、その世界に近づこうとする過程そのものが、映画を何倍にも豊かにしてくれるということ。

いつまでこんなふうに一緒に楽しめるのかは、わからない。
けれど、できるだけ長く続いてほしいと思うし、たとえ形が変わっても、映画を観る前のわくわくや、少し背伸びをしたなりきりの気持ちを、これからも共有できたらいいなと思う。

観終えたあと、帰り道でぽつりと。
娘「1(前作)のグリンダの服はピンクだったけど、2(今作)はピンクじゃなかった。」
私「エルフィー、1の途中でメガネ外したから、2ではかけてなかったわ。」

ふたりとも、ちょっとだけ残念で、でもなんだか可笑しくて。
そんな小さな答え合わせまで含めて、いい映画の日だった。

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